現在位置 : スポーツインフォーメーション > サッカー > 終わりは次の始まり:何かを得てはいるのだろうが

終わりは次の始まり:何かを得てはいるのだろうが

2006年6月にスポナビ+ブログが開始されてから、当初は 普通のブログとは違う SNS的な雰囲気に感じ入り、別の理由もあって始めてみたのだったが、 その後、ブログが流行りもののようになり、現在の形になるに従い、もちろん 良い面も多く出てきていると思うのだが、自分自身がそれを有効活用できている とは言い難いので、一か月以上前から振り返り、明日をもってここを去る事を決めた。
ここでの個人的な御礼としては、数えきれない程 多くの事が頭に浮かぶ。
にもかかわらず、忘れっぽく脆くなっているので、ここでは個人名を記載せず、 多くを語らない事とさせて頂きたい。
ただ、自分自身を成長させて頂いた、と いう意味では、関わって頂いた全ての方に、感謝しきりの気持ちである。
そして ここでの過ちに関しては、許されないものもあるとは思うが、 深々と身体が折れるほど 頭を下げたい気持ちでもある。
サッカー観戦は今後も可能な限り行いたいと思うし、自分を追い込んで何かを 成し遂げようとする気概は、ここで語るのが足りない程 今後も持ち続けて いきたいとは思っている。
その想いとして 少しだけここで書き記したい。
(少しに留まらないのが 終始ここの特性でもあったのだが) 百聞は一見にしかず。
言うとするとは大違い。
書けば書く程その想いは募る。
常に自分の無知を思い知らされるが、それを克服する為の行動は遅々として進まず、 逆に他人のアラばかりが見えるようになる。
そういう悪循環は終わりにしたい。
他人の問題ではなく、自分の問題として捉えなければ 問題は解決しない。
例えば、代表の事についても、全ての責任をJFAや代表監督に押し付けて 自分の落ち度は何らないような発言を行うのは、ストレス発散の為ならそれも 許容範囲かもしれないが、責任の一端すらも担えないようならば、その輪の中に いる資格も価値もないのかもしれないし、批判のみで終わるならば、おそらく 多くの方が出来る事でもある。
今の日本人が本当に勤勉と言えるのかどうかは、そういう意味では疑問を持つ。
勤勉だった過去の方々が苦労して作り上げてきたものを、その価値を顧みること なく、いつの間にか自分の手柄にしたりしていないかと、今の苦難の数々を思えば 先ずは 自らを恥じ入り「自らの何かを変えなければ」という気持ちになってしまう。
こういう生き方は、今は流行らないのかもしれないが。
イビチャ・オシムは「日本化」を「家へ戻る」こと、別の言い方をすれば 「自分たちの原点に立ち返ろう」という事だと語ったのだと思っている。
自分たちを客観視して、何が本当にできるのかを先に知ろうとせずして、 何が本当にできるのだろうか? と思わずにはいられない。
単なる責任転嫁で終わって、前に進もうとせず、何が得られるのだろうか?と。
高度成長期からバブル崩壊に至るまでの日本人は、出来合いのものを模倣してきた事 による利益を、本当の成功と勘違いしてしまっていたのかもしれないが、 その後遺症が取れかかってきている今、逆に自らが以前持っていた「美徳」の多くを 失い、自分にのしかかる責任を軽減する自衛的手段として、声高に叫ぶ事でもって、 そのストレスを解消して、ストレスの元がなくなったと勘違いしているのかもしれぬ。
実際には、それでも何かを得てはいるのだろうが、自らに課すストレスを軽減し過ぎて 生産性が低いままで終わってしまっているようにも思える。
自分の力を見極めて、短所・長所を把握して、その上で自分の頭で考えて 「新しい価値」を創造していく事の難しさは ハードルが高い事も判っているが、 その難しさを避けて通った成功というのは、長くは続かないだろうとも思う。
ピッチ上での一つの成功の裏には 多くの失敗が伴って当たり前の事だと思うが、 それにもかかわらず、たった一つの失敗を咎め立てする事に長けてしまうと、 成功の可能性を自らが摘み取ってしまっている事もなると思うのだが。
それが本当に理解できて、行動に移せて、そして実現できているのか? と 自らに問えば、それはなかなか実現できておらず、安易な批判に走りがちである。
もちろん、必要な批判は大切だが、それは「明日の成功につながるものかどうか」 と再度問いかけてみると、批判により得られるものが何かと考えてみると、 これまでの私の自己評価としては、まったく不満足なものにしかならない。
そうならば、安易にストレスを発散するのではなく、そのストレスに対する耐性を 持ち、自らが責任を持ってそれを処理しようとする方が、よっぽど進歩につながる のではないかという気がしている。
それに耐えきれなくなった時に帰る場所は、人により必要なのかもしれないが、 私には必要ないものだとも思っている。
それはもっと遠くへと、もっと多くをと、 求めつつ ここまで旅してきたせいなのかも。
何かを得たのだとは思う。
まだまだ未熟者なので それが直ぐには判らない。
そんな自分が、ここで少しばかり長く根を張らせてもらったのが ここまでだが、 これからは、現実に肌で感じて判る為に、ストレス耐性を持つべく退路を断って もっと走ってみようと思う。
もっと力強い身体や 鋭い目を持つ為にも。
逃げる訳ではない。
逃げ足は速くないので、逃げ切れもしないだろうから。
誰にとっても、何かの終わりは、次の始まりでもある。
書けば書く程 感じずにはいられない自分のカラを 破る力を蓄えていく為に、 「原点に戻ってみること」を 本当の意味で実行しようとして、さらに前に もっと前に進もうと思う。
そうできる筈の自分を もっと引き出す為に。
自分に対しても、関わる他者に対しても 真摯に対応しようとする気持ちで。
最後まで この重たい文章に おつきあい頂いた方々に、再度、深々と頭を下げたい。
・・・と、こんな感じの業務連絡、どうでしょうか。
じゃあね~~。

終わりは次の始まり:何かを得てはいるのだろうがの続きを読む